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もう一度考え直し

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愛知県独自の緊急事態宣言は解除されたが、まだまだコロナが収束へ向かっているとは思えない。

雨が長引いた梅雨にも苦しめられたが、梅雨明け後の猛暑も大変。暑さに慣れろ!なんて昔は言われたが、人命を守る事を最優先に考えなくてはいけないほどの暑さだと思う。

コロナや熱中症の危険、その中で、どうやって子供達を育てていったらいいか…日々考え抜いている。

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3月・4月・5月、学校が休校になり、いつも通りみんなで集まる事もできず、当たり前のようにやれていた野球ができなくなった時から、通常通りに戻すという考えを私はやめた。
独自のやり方を生み出して、新たなやり方で選手達を育てる方法があると思う。

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今、少しずつ新たな形でスタートしている。
手応えもあり、子供達もよく理解し、毎日頑張っている。

当たり前のようにやれていた野球…ただ、それができなくなった今、何が大事か、何を伝えていかなくてはいけないか、自分達はどこへ向かって走って行くのか、私がもう一度考え直して、一つ一つ形にしていこうと思う。

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再びコロナを考えなくてはいけない

緊急事態宣言が解除され、新たな日常を過ごし始めた矢先だが、再び新型コロナの感染者が増えてきた。

世間では第2波と言われているが、またもう一度一人一人が向き合わなくてはいけない。

野球界も、プロ野球が始まり、大学や高校も色々な制限をしながら、再スタートを切っている。
悪い事ではないが、元々収束したわけでもない。

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第1波が終わる前に、第2波と言われ感染者が増えてきた。
私たちがやれる事は限られているが、手洗い・うがい・アルコールなどの予防や、子供達のコンディション管理、疲れが溜まり過ぎたり
抵抗力が下がるようなメニューは避け、なるべく良いコンディションを維持しながら、予防と対策を再度考えていきたい。

遠征や多くの人が集まる大会なども、まだ考えるべきなんだと思う。

元々、まだ初めの一歩が許されただけのような気がする。普段通りではなく、練習ができるようになっただけでも、ありがたいと考えたい。

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欲を出さずに、最優先に向き合わなくてはいけないのは、まず新型コロナだと改めて思う。
屋外だから心配ないと決めつけず、屋内屋外関係なく、再度予防をする指示が私に必要だと思っている。

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野球界の良くないところ

新型コロナウイルスの影響で動きが止まった野球界だったが、少しずつ動き始めている。
プロ野球や高校野球も、本来の形ではないが、再開して明るい話も増えてきた。

小学生や中学生の野球も少しずつ動き始めている。
まだまだ球場の解放や練習時間、公式戦などには慎重な意見があり、今はなるべく密を避けながら野球がやれるよう
焦らず環境を整えていく事が大切だと思う。
少しでも野球界が明るい方向に向かう事を願って、日々子供達と練習に励んでいる。

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野球界にいると、色々な出来事があり、相談を受けたり、問題に直面する事もある。野球界の良くないところはまだまだ昔から変わらない。

指導者の思い通りにならない結果やプレーに対し、暴言や暴力など、体罰問題は、小学生から高校生まで相変わらず存在する。

勝ちにこだわりすぎると、試合に出場する選手は毎回ほとんど同じになり、ピッチャーは肩や肘の酷使に繋がり、
逆に出れない選手は経験不足や指導を受けられない状態になり、楽しさや上達も中々知る事ができず、伸び悩んでしまう。

指導というのは本当に難しい部分はあり、指導者の考え方も人それぞれ。勝つ野球と育てる野球、私は二通りあると思うが、
小・中学生の間は、やはり育てる野球を大事にしたいと考えている。

体罰問題や指導に恵まれない、そんな苦しい状況にいる子供達がまだまだたくさんいるのも、野球界が考えていかなくてはいけないところだと思う。

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父兄間の問題もたくさんある。
しがらみや派閥、妬み僻み、負担の大きいしきたりやルール、人が集まれば色々な考え方があり、まとまっていかないもの。
誤解や陰口が生まれ、人を悪く言い合う世界になる。
私もそんな光景を見たり聞いたりすると、本当に悲しく心が痛む。
子供達が一生懸命頑張る野球のサポートをするはずなのに、空回りし、最終的に子供達のためになっていない言動や行動をしている大人は本当に多い。
そんな人を見ても、私は何も言わないが、考え方を変えない限り、どこまで行っても満たされる事はないと思っている。

進学問題も、中学野球では必ずついて回る問題だが、その風潮も良いとは思わない。
人の進学に他人がコメントする事も間違っているし、応援するなら歓迎だが、妬み僻み、ネガティブな発言などは完全に間違っている。
高校から必要とされる事も大事だが、背伸びせず、体や体力・学力などを考え、自力で行ける身の丈に合わせた選択が一番だと私は思う。

野球界の良くないと感じる部分はまだまだある。
歪んだ常識を一つ一つを変えていく事は中々難しいが、諦めず、色々な意見はあってもブレずに信念を貫いていけるように努力したいと思う。

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新たなスタート

新型コロナウイルスの影響で、約3カ月間活動形態を変え、ここまで歩んできた。
当たり前のようにできた野球環境がどれだけ恵まれていたかを実感した。

この3カ月は、本当に長く苦しい時間だった。
また、自粛生活に逆戻りする事がないように、自分自身と道場の子供達と一緒に、ウイルスの予防・対策を継続していこうと思う。
予防・対策も新たな練習メニューの一つとして入れていく事が大事ではないかと感じている。

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普段通りの活動ができなくなってからも、日々色々な事を考えていた。
子供達の成長を止める事はできない、高い意識を低下させてはいけない、このピンチをどうすればチャンスと捉えて、
子供達にとって良い時間に繋げていけるか…その事ばかりを考えていた。

大人数の集団で集める事もできない、普段から練習場として使用していたグランドは全て閉鎖、キャッチボールをやる事すら中々難しい…だからと言って、
全て自主練習に任せてしまう事も難しい。
自分も含め、自分自身を厳しくトレーニングで追い込んでいく事は簡単ではない。
楽な方楽な方へ…やりたい練習だけをやってしまう、それが普通なのかもしれない。
何でも積み重ねというのは大事だと思うが、良くない意味で、楽する事も積み重ねにより、体力や意識の低下に繋がってくる。
そこは絶対に避けなくてはいけないと思い、考えて考えて、私なりのやり方と方法で3カ月間を乗り切ってきた。

当然、普段通りではなかったが、今やれる事・先を見据えてやっておきたい事は、限られた環境で目一杯できたと思う。

しかし、大切なのはこれから。
まず、学校生活や家庭のリズムが落ち着き、それから新たな生活スタイルが確立する中で、また野球も動き始めていくと思う。
私も焦らず、子供達にとって何が一番大切かを頭に入れながら、またサポートをしていきたいと思う。

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この3カ月間は色々な事があった。
野球に関係する・道場に関係する色々な人と話をする機会があったり、SNSを通じて連絡を取る事があったが、人は本当に難しい…
目に見えない人の心と向き合う事は簡単ではない。
野球に対しての考え方や、子供達や人に対しての考え方も色々ある。
良い事は当然学びたい。

自分の中で良くないと感じた人の考え方も、反論や批判はせず、受け止めて、自分自身が無意識のうちに同じ考え方になっていないように
気をつけていく事が大事だと思っている。

批判を受ける事もある。自分では一生懸命やっていても誤解を受ける事もある。
今回の新型コロナウイルスの規模のように、全く思うようにいかない事もある。
色々な困難に悩み・苦しむ事もあるが、全ての人に私の考えや道場をわかってもらおうとは思っていない。
わかってくださる人・良き理解者を大切にしていきたい。

自分の信念を信じ、決断・実行・辛抱を大事にしながら道場を守っていく。

そんな気持ちで、新たにスタートしていきたいと思う。

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この苦しい状況の中、どんな自分でいるべきか…

世の中はコロナウイルスの影響で苦しい状況になっている。

収束を願うのは当然だが、まだまだ先は長い。
その中で、指導者である自分が何をすべきか…
コロナウイルスの影響が出だした頃からずっと考えている。

道場の子供達が、いつものように集まる事ができない現状、そこは心から残念に思う。

冬〜春へ、順調な成長を重ねてきた子供達が、モチベーションの低下やコンディション不良にならないためにどうしたらいいか…
コロナウイルスの影響が拡大していく中で考えに考え抜いた。

やはり結果はただ一つ。いつの日も、自分の努力しかない。

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今までにないぐらいの気持ちの強さと、ずっと大事にしている「自分の信念」を信じる事が必要だと思った。
あらゆる手を尽くして、形を変えて育成は続けたい。

家でのトレーニング方法や自主練習のやり方、コンディションを落とさないためにやらなくてはいけない練習を伝える。

家でできるトレーニングをコツコツ積み重ね、
運動不足・練習不足解消のための屋外トレーニングは、集団にならず、必要なトレーニングをなるべく短時間で内容濃くやる。
練習方法が分からない場合はどれだけでも教えてあげたい。

それ以外の外出は控える。

勉強も大切、そして学校生活や集まっての練習ができない分、生活リズムを正し、免疫力や抵抗力を高める事も私がアドバイスすべきだと思っている。

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目標がブレたり、先々が不安になったり、練習が不足してしまう事を恐れる子供達もいるが、1人1人しっかり向き合って、道場で頑張る子供達のこれからをしっかり守っていこうと思う。

この苦しい状況の中、どんな自分でいるべきか…
いつも自分の限界まで精一杯やってるつもりだが、こういう時こそ、さらにその上を目指す自分でいたい思う。
いつも通りグランドでの野球ができない中、自分の指導の引き出しを増やすチャレンジをしたい。

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なぜ道場を立ち上げたのか…最終章…

会社を退職し、野球を通じて子供達と向き合う事を決めた僕は悩んでいる事があった。
それは、クラブチームを作るのか、自分のやりたい形や信念を貫き新しい形を作るのか…という悩みだ。
言葉に表す以上に深い悩みだった。
野球という伝統あるスポーツであり、新しいものが弾かれる世界でもあるだけに、
認知度の高いクラブチームとは違う新しい形を作って、野球界から弾かれる事を僕が怖がったのだ。
でも、どれだけ考えても、やりたい形はチームではなかった。
自分もクラブチーム出身、勝利に向かって頑張る事が必要ないとは全く思っていない。
高校野球の世界からは、甲子園という存在がある以上、勝利至上主義になってしまう。
だからこそ、まだ小・中学の時は結果より育成が大事だと思う。
さらに、野球界に感じる考え方や古い常識には流されてはいけないと感じていた。

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野球の現場は、野球だけをやる場ではないと考えている。現場は、社会に出てから必要な考え方や人間性も伝えていける。
それをどんな形で伝えていくかが問題だった。
自分の野球経験、野球から離れ社会に出てからの社会経験、自分の経験してきた事以外で深く学んだ指導者としての勉強、
それら全てを指導に生かすためにはどうしたらいいか、悩んだ僕は指導でのこだわりを書き表してみた。

すると、ここでは書ききれないが、こだわりは50項目以上にもなった。その項目を一つの形として実行していくためには新しいものを作るしかなかった。
批判は覚悟の上だ。
そこで自分の信念は曲げず、子供達と向き合い育成する事を大切にするために、新しく独立した団体として「道場」というものを立ち上げた。
最初は選手一人、指導者の僕一人の二人でスタートした名東野球道場。
大きくしたいわけでもなく、有名になりたいわけでもなく、ただただ純粋に子供と野球を通じて向き合ってみたかった。
フリーペーパーや雑誌、チラシ配りなど、いまだかつて宣伝は一度もした事ないが、噂や情報は流れるのが早く、
立ち上げて1.2年は、批判や嫌味を言われ、気持ちが落ち込んだ事もある。それも学生野球界の良くない体質だと思う。

それでも、道場を信じ、僕を信じ、毎日目を輝かせて練習に来る子供達を見ていると「負けてはいけない。しっかりしなくてはいけない」と
自分に言い聞かせていた。バカにされても何を言われても我慢。悔しさは指導の力に変える、そう思い、一人一人と向き合ってきた。

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そこから約10年、道場は今もコツコツ成長を続けている。純粋でかわいい子供達も質の良い競争の中、毎日毎日良い顔をして頑張っている。
そんな彼らに、僕ができる事は何か、全ては僕の努力しだい…今も立ち上げた時と変わらず、その信念は1ミリも曲げていない。

野球少年の人口減少、行き過ぎた指導、親の負担、金銭問題、進学問題、厳しい野球界から離れた選手が起こす事件、野球界にはたくさんの問題がある。
ほとんどの問題は、小・中・高校など、学生野球界の考え方や育て方、向き合い方に問題があると私は思う。

私自身も、叱られながらスパルタ・理不尽な世界と言われる中で野球をやってきた。
怒られないように、追い込まれながら毎日苦しんでいた。支配の野球から解放された反動も大きかった。
野球界がやらなくてはいけない事、考え直さなくてはいけない事は多いと感じる。

指導者は偉いわけではない、言う事の全てが正しいとは限らない、勝った時は自分の名誉、負けた時は子供達のせい、
自分の思い通りにならなければ怒る、そんな指導者がまだまだたくさんいる学生野球界。
私も、野球から離れて社会に出て、野球の異常な世界を痛感した。
ルールやしきたり、時間と心の拘束。
野球は気持ちを犠牲にする事があまりにも多すぎる。
上手い選手は偉いという風潮があり、結果を出せず苦しんでいる選手に手を差し伸べる気持ちが薄い。そんな考え方の中で、人の心は育たない。
野球という現場で、今を生きる子供達に上手い下手は関係なく、向き合い育てていかなくてはいけないと思う。

ピリピリした空気の中、言う事を聞かせ、精神修行という言葉を美談とする。そんな世界では、今の自分でも野球をやりたいと思わない。

グランドで楽しくやる事は、緩みやおふざけ、舐めてる・甘くみてる…そんな捉え方をしてしまう指導者や大人は多い。

厳しさという方法ではなく、温かく楽しみながら成長を実感し、向き合い寄り添いながらやっていく野球がなぜいつまでも定着しないのか。
そこには、考え方だけでなく、権力や圧力、変える事が難しい歪んだ常識があるのかもしれない。

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メンタルや気持ちが弱い子には厳しく、その考え方も間違っている。メンタルや気持ちの強い子は、それも生まれ持っての才能。
逆に弱い子は、寄り添い立ち向かう勇気を持たせてあげるべきだと思う。

ここまで長く綴ってきたが、人を褒める事ができなくて、見下す事や言い訳ばかりで身を守ろうとした自分。
怒られないためには必死にやるフリをしたり、嘘までついた自分。調子良く大人をかわしていく事が正しいと思い込んでいた自分。
その間違いに気づくのが遅かった。

自分があまりに未熟過ぎて、挫折から立ち直るまで時間がかかってしまった事には後悔しかないが、今、道場という形に辿りつけて本当に良かったと思う。

自分と向き合う事ができないと、考え方や心の視点も変わらない。失敗や誤った考え方をしてきた自分も、
今後、子供達の育成に生かす事を自分の中の約束事として、自分で自分自身を許す事にした。

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自分を許し、未熟な自分を受け入れる心を持つと、人を許し、優しくできる自分も生まれた。過去のスパルタ教育で、溝ができてしまった父との関係も、今は感謝に変わっている。
そして、その父も、優しいおじいちゃんとして道場の子供達に愛情指導を行っている。今は、あの頃の父の気持ちもわかってあげたい自分がいる。

「なぜ道場を立ち上げたのか…」それは自分の人生経験と、そこからたどり着いたこだわりと信念を形にしたかったから。それがチームでは形にできないからである。

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最後に、私は野球が大嫌いだった。厳しさと苦しさと我慢と挫折、野球から思い出される事はそんな事しかない。
しかし、今 野球が最高に楽しい。その楽しさを教えてくれたのは、間違いなく道場の子供達だ。そんな彼らには感謝しかない。

子供達とやる野球は大好きだ。

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なぜ道場を立ち上げたのか…社会人時代②…

大学を卒業して入った大手企業も逃げるように辞め、もうその時の自分は野球をしていた頃の自信と輝きはなかった。
就職難は続いていたため、転職は簡単にはいかず、職人見習いとして飲食店に勤めた。
皿洗いから始め、掃除・仕込み・接客、毎日その流れの繰り返しだったが、心のどこかで「何でこんな事をやらなくちゃいけないんだ」「本当はもっとやれる」挫折をしたにもかかわらず、その現実を受け入れられないプライドと未熟さだけが心に残っていた。

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勤めていた飲食店も、関東〜関西に展開している大きな企業だったが、僕が勤めていた店舗は売上も良くなく、従業員の出入りも激しかった。
僕と一緒に働いていたアルバイトの学生からも「キツイだけだから早く辞めた方がいい」と言われ、僕もどこかで辞める事を考えていた。
ただ、自分の心の中に、苦しくなったらまた逃げていいのか…という気持ちも強くあった。

下積みを重ね数年後、社員に昇格し、職人として働いていた時、社内トラブルがあり社員が大量に辞めた。
僕が勤めていた店の店長も従業員も辞めていき、残ったのは僕とアルバイト一人だった。
これでどうやって営業するのか…と思っていたが、その時は無我夢中でやるしかなかった。
中学時代、強制的にやらされた野球の感覚と似ていた。もう逃げてはいけない、ここで立ち直らなくてはチャンスはないと思い、早朝から夜中まで、休憩なし・休日なしで必死にお店を守った。
しかし、店長経験もなく、人を育てた事もない自分が突然全てを任されても うまくいかず、毎日毎日悩んでいた。
自分で面接をして採用したアルバイトもどんどん辞めてしまう。売上もなかなか上がらない。
自分の力のなさを痛感した。
結果を出したい気持ちや焦りがあり、ついつい自分の思いや やり方を従業員にぶつけてしまう。雰囲気の悪い店ではお客様も従業員もついてくるわけがない事に、何度も何度も失敗してようやく気づき始めた。

従業員が気持ち良く働ければ、良い商品が生み出され 良い接客が生まれる。従業員一人一人にお客様がファンとなってくれれば、顧客になり常連客になる。働く楽しさ、売上を上げていく楽しさ、お客様が増えていく楽しさを知っていくと、一人一人の意識が変わる。

僕は結果を出す事に必死だったが、従業員の気持ちを考えれば、それは野球をやっていた頃の僕と同じだったかもしれない。
どれだけやっても褒められない。指導者の思い通りのプレーをしなければ叱られる。支配されながらやる野球が大嫌いだった。
でも、その時のお店を支配していたのは自分だった。自分がやられて嫌だった事を野球と違う場所で自分がやっていた。
自分の気持ちを優先するより、人の気持ちを先に考える事が大切。
職人を育てるためには失敗した商品を責めるのではなく、良かったところを褒め、一緒に練習してあげる事が大事だった。朝練を始め、良い商品を生み出す事を一緒に楽しんだ。
接客をしている従業員にも、指導より まず「感謝」を伝えた。

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チームというのは自分が作るというより、みんなで育てていくもの。

自分の気持ちを分かって欲しければ、まず相手の気持ちを分かってあげる事が先。そう感じるようになっていった。
従業員がヤル気になってくれれば、良い商品・良い接客が生まれ、売上も上がってくる。
さらにそこで、全員で経営意識を共有し、時間の使い方、経費の考え方を相談し、赤字から黒字にするための道のりを歩み始めた。そこから1年ぐらいし、お店は黒字になった。
会社からも評価され、次々新店舗立ち上げや赤字店舗の立て直しを任された。気づいてみれば関東から関西までたくさんの店舗を管理する統括マネージャーになっていた。
ただ、自分の事より嬉しかったのは、必死に向き合って育ててきた従業員達が、各店舗で店長や店長を支える右腕となって活躍していた事だ。
それでも、僕も満足はせず、自分と考え方や波長が合わない人、履歴書に書ききれないほどの転職を繰り返している人を積極的に採用し、時間をかけて向き合うようにしてきた。
自分と、考え方や波長が合う人と一緒に仕事がしたいのは当たり前だが、自分も成長しなくてはいけない、人に寄り添う気持ちを養わなくてはいけない、そのためには、考え方や波長が合わない人と一緒に過ごす事が大事だと思った。転職を繰り返している人には、自分の向き合い方と努力で辞め癖を食い止めようと思った。

焦らずゆっくり温かく、そして、人を許し、人を助け、人の力になろうと努力する事に自分の信念と生き方を見出す事ができたと思う。
そしていつの日か、今の自分の考え方や やりたい事は、ずっと抱いてきた野球界への不信感に向き合う事だと思うようになった。
従業員に一生懸命向き合って、目標に向かって一緒に努力する事は、野球を愛する子供達にも必要だと思う。少年時代の苦しみやわずかな成功、社会に出てからの挫折、その経験から生まれた考え方や信念、今こそ野球界に戻り、子供達と向き合うべきじゃないかと思った。
自分の努力しだいで、人の心が動くぐらい子供達に尽くしてみたいと思い、僕は会社に退職願を出した。

続く

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なぜ道場を立ち上げたのか…社会人時代①

大学を卒業して、大手自動車ディーラーに就職した。就職難と言われた時代に、すんなりと就職できた事で、自分は変な勘違いを入社当時からしていた。
自分はできる、野球の話をすればみんなが興味を示してくれる、会社もドラフト1位ぐらいのレベルで採用したはず、
そんな歪んだ自信が僕の心を覆い尽くしていた。

でも、厳しい現実はすぐに僕の前に立ちはだかった。
新人営業マンとして、自分の名刺とプロフィール用紙を持って、一軒一軒ポストへ投函していった。一週間で1000軒。
もちろんプロフィール用紙には野球経歴を大きく書きアピールした。
何人の方が興味を示してくれるか、余裕を持って楽しみに待っていた。
しかし、連絡もゼロ、名刺を配った1000軒の中で、店頭に車を見に来てくださったお客様もゼロだった。
そのショックは今でも覚えている。
そんなはずはないと思いながら、もう一度、1000軒ご挨拶に回った。

そこで知る現実…。

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ほぼ全軒、名刺もプロフィール用紙も配った方の記憶にすらなかった。簡単に言えば、目も通さず捨てられていたという事。
少しずつ音を立てて崩れていく自信。野球の話に持ち込めばアピールできる。その考えが、いかに甘いかを思い知らされる。
世の中の人がみんな野球に興味があると思い込んでいた自分、大学を卒業し野球から離れ、社会に出た時、
野球以外の場で自分はどうしたらいいのかが全く分からなかった。野球以外の話ができなかった。
それでも守ろうとする歪んだ自信とプライド。野球の経歴が作り上げてしまった部分もあるが、間違いなく未熟すぎた自分がいた。
「自分は一生懸命やっているけど、不景気だから売れない」「どれだけ足を運んでも、お客様は分かってくれない」
毎日毎日言い訳の日々だった。自分は悪くない、周りが分かってくれない、気づけばそんな考え方をしていたので、
会社からもお客様からも理解されるわけがない。

長い間野球を続けてきて、強豪校で主将まで務めて、そんな僕の何に会社が期待してくださったかも当時は気づかずにいた。
だんだん失っていく自信、一日一日勢いをなくしていくヤル気、野球で苦しい日々を乗り越えてきたとは思えないほど弱い人間になっていた。
営業に出て行くのも怖い、上司から厳しい言葉を言われては落ち込む。
気づけば、これ以上ないほどの挫折で私は会社を逃げるように去った。

続く

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なぜ道場を立ち上げたのか…大学時代…

中学から始めた野球だが、高校が終わるまで野球を好きになった事は一度もなかった。
苦しみや悲しみ以外はなかったが、唯一良い事と言えば、運が良かった事だと思う。
中学でも高校でも、大事な時に結果が出てくれた。大学に入るための野球の実技試験でも、たまたま調子が良かった。
それは今でも実力だとは思わない。野球の神様が、ここまで頑張ったご褒美にくれた運だと思う。

高校野球を終えた時、好きではなかった野球だが、ここまでやってきたら大学でも続けていこうと思っていた。
ただ、絶対に曲げたくない条件が自分にはあった。それは、家を出る事と父の知り合いがいない場所で野球をする事。
父への感謝もあったが、やはり父の元から離れて野球をやってみたい気持ちと、失敗しても叱られない家に帰ってみたかった。
そして、父の知り合いはほぼ100%野球関係者だったので、比較されず、父の凄さを聞かされない、そんな世界で1度やってみたかった。

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その中で選んだのが、関西の強豪・大阪産業大学だった。東海地区から出ると、父の知り合いもほとんどいないし、
僕の知り合いもほとんどいない、なんとなく1からスタートできる感じが嬉しかった。

中学〜高校までスパルタや支配の中で野球をやってきた僕にとっては、大学野球は夢のような世界だった。
髪を伸ばしても良い、厳しい上下関係もない、車でグランドに行っても良い、球場には流行りの音楽がかかっていて、
練習も自主性に任せているメニューが多く、好きな練習ができた。
今までの野球とは180度違ったので、最初はそれが嬉しくて楽しくて新鮮だった。
練習後、夜はアルバイトをしてお小遣いも稼げた。

しかし、今まで全て指示の中でやってきた野球なので、だんだん自分がどんな練習をすべきかが考えられなくなり、
今やっている練習が正しいかも分からず、技術的な部分も進歩できているか不安だった。

父の元を離れたかったが、父の指導がない中でやる野球は心細かった。

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考えながら野球をやってこなかった分、何をしていいか分からない自分がいた。
同級生や先輩を見ながら成長はしていたが、支配野球から解放された反動で度々野球に身が入らない時期もあった。

レベルの高い選手達の中でやる野球は楽しかったが、大学2年・3年になるにつれて、プロ野球や社会人野球など、
大学から上の世界でやる野球のイメージができなくなってきた。
関西地区の大学野球には巨人やメジャーリーグで活躍した上原投手や、同じく巨人で活躍した二岡選手がいた。
彼らのプレーを見ていると、彼らのような選手が上の世界でやれる選手であり、全く次元が違った。

相変わらずケガだらけだった僕は大学3年の時、左肩を脱臼骨折し手術をした。入院し、リハビリ生活を送る中で、
この先の人生を考えていた。
自分の実力にも限界を感じ、ケガにも嫌気がさし、野球を大学までで終えて違うステージで頑張ろうと思うようになった。
「自分は野球だけの人生は嫌」「野球で学んだ事を他で生かしたい」そんな事を大学4年の時よく口にしていた。
間違いではないが、心の中では野球から逃げた、父を超える事はできないと認めていた。

大学4年で野球部を引退し、愛知に戻り就職活動をした。第一次不景気と当時言われ、就職活動は苦戦すると思っていたが、
中学〜大学まで野球を続け、高校では強豪校の主将を務めたという経歴が面接官の目に止まり、苦戦する事なく大手企業に就職は決まったが、

これが自分の人生を見失う入り口だった。

続く

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なぜ道場を立ち上げたのか…高校時代…

運良く享栄高校に入学した僕は、野球のレベルの高さに驚いた。上には上がいるとはよく言うが、まさにその光景がグランドにはあった。

どの先輩も上手で、体も自分の何倍も大きくて、特待生だからと言って勝てる要素は一つもなかった。練習メニューも本当に苦しく厳しいもので、
先輩後輩の上下関係も中学時代とは比較できないほどだった。
どこの学校も当時はそうだったが、今の時代では考えられないほど理不尽な事も多く厳しい世界だった。

毎朝5時頃の電車に乗り、朝練→授業→練習、土日はほぼ試合、帰宅後はフラフラになりながらバットを振り、父に叱られながら疲れ果てて寝る。

体も心もいっぱいいっぱいになった時は、やはりサッカーへの未練や苦しい現状を思いお風呂で号泣していた。

高校1年生はそんな日々で終わってしまい、野球をやれた実感はほとんどない。
強豪校の凄さ、厳しさ、大変さを痛感した1年だった。

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少しペースを掴めた高校野球だったが、高校2年生から高校野球を終えるまで悩まされた2つの問題。
それは父がプロ野球選手だったからこその周りからの目線、もう一つはケガとの戦いだった。

父親と同じ道を進んだ者は、少なからず感じた事はあると思うが、父と比較される事が僕はすごく苦しかった。
父もプロ野球で16年やった人だけに、なかなか簡単に抜けるわけがない。
高校2年生で少しずつ試合に出させてもらえるようになり、少しずつ結果も出だしたが「お父さんと比べると不器用だな」
「お父さんのセンスはお母ちゃんのお腹に置いてきたな」そんな事を父の古くからの友人知人からは言われて落ち込んでいた。
「そんな事言われなくても分かってる…」「元々やりたくてやったわけじゃない野球をやってるのに、何でそこまで言われなくちゃいけないのか…」
そんな気持ちでいつも腐っている自分がいた。

ケガも、捻挫や打撲は日常茶飯事だが、足首外側の靭帯断裂や肉離れ、左肩の脱臼などプレーに支障が出るものばかりだった。
ただ「痛いので休ませてください」「治療したいです」そんな言葉は言いたくても言えなかった。休めば試合には二度と出れない、
休む事はサボる事、そんな空気感が当時の高校野球にはあった。
ケガをした時も、治す事より、明日からどうやってプレーしようかを先に考えていた。テーピングでぐるぐる巻きにして固定をし、痛み止めを飲みながらプレーしていた。
今思うと、テーピング代、薬代…ケガばかりしていた僕にどれだけお金がかかったか分からない。それだけでも親には申し訳ない気持ちになる。

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高校3年生で主将になり、チームをまとめていかなくてはいけない立場になった。
ただ、僕は歴代主将の先輩達のように、プレーに説得力があり、カリスマ性を感じる雰囲気や発言ができる人間ではなかった。

1番に考えた事は理不尽な世界をなくし、厳しい上下関係を考え直し、平和を求める考え方が自分にはあった。

しかし、良くも悪くも伝統というのは継承されてしまい、流れを食い止める事は難しかった。後輩達に優しくする事を良いと思わない同級生もいた。
部員も多く、目を行き届かす事も難しかった。
父に負けないぐらいのプレーをしなくてはいけない、ケガとの戦い、そこに主将としての役割が加わり、最上級生になっても苦しい日々は変わらなかった。

結局、僕が主将を務めた年は甲子園を勝ち取る事はできなかった。チームをまとめきる事も難しく、無我夢中だった事は間違いないが、力のなさだけがただただ残った高校生活だった。

高校生ではあるが、人との関係性の難しさ、チーム作りの難しさを痛感する経験だったと思う。

続く