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指導者と子供たちのスタンス

私が子供の頃は、監督やコーチとコミュニケーションを取る事はできなかった。

何を言われても基本的には「ハイ」しかなかった。
たとえ間違った事があっても、監督やコーチの指示や発言ならば、それは「正しい」「従う」それが当たり前の世界だった。

意見を言ったり、ものを言えば、反抗的態度や気に食わない奴という目で見られて叱られる事は分かっていたので、みんな良い子を作っていた。

怒られると萎縮し、笑ったり話しをしていればたるんでると言われ、怒られないように、そして怒らせないように、グランドの内外ではそこを一番に考えて行動していた。

今もそんな風潮は残っている…

監督やコーチは偉い人、子供たちや父兄はものを言えない、そんなスタンスは今でも当たり前のようにある。

私は間違っていると思う。
監督やコーチなど指導者が偉いわけではない。

年齢や、やるべき仕事が指導者と子供は違うだけ。
グランドで子供たちは野球を練習し・学び・技術以外も成長できるよう色々な事を感じていく事が大切。

指導者は、アドバイスし・サポートし・子供たちの将来のために考え方を伝え、積極的にコミュニケーションを取り、成長のための力になる事が大事だと感じる。

指導者が子供たちより上回っている事は、年齢や野球の経験値ぐらいで、何も偉い事はない。
年齢的にどう頑張っても、子供たちが経験値で大人を上回る事はできない。

だからこそ、自分が通った野球経験でうまくいかなかった事、後悔している事、高校野球や大学野球での経験、ちょっとの成功体験、それらを子供たちに伝えていく事が指導者の役目であり、上から見下げる事は一つもない。

自分のような野球人生にならないように、怖くてものも言えない、気持ちに余裕もなく、奴隷のような支配の中で野球をやってはいけないと思う。

昔の野球経験が、美談や誇りになると、また同じ事を子供たちにしてしまう…。
考えるべきは大人、自分の経験は自分で疑い、間違いは受け入れ変えていく勇気も必要。

逆に言えば、子供たちの方が新しい情報や考え方を持っていたり、まさに「今」を生きていると感じる。
そう考えたら、自分よりも上回っている事の方が多いからこそ、たくさんのコミュニケーションの中から、指導者である私が子供たちから学ぶスタンスでいたい。

指導者が絶対という風潮は良くない。

指導者が姿を見せると子供たちや父兄の顔色が変わり、みんながバタバタドキドキしながらご機嫌を伺い、父兄はコーヒーやお弁当など、指導者の身の回りの事まで一生懸命尽くす。
それが当たり前で、それも含めて野球だと思っている人も多い事自体、野球界が変わっていけない結果だと思う。

その結果、指導者は偉いと勘違いしたり、子供たちはなかなか自分が出せなかったり、父兄の負担が大きくなり、組織の中でやれる人やれない人で格差や派閥が生まれる。
そうならない組織を作る努力をする事が指導者の役目だと私は感じる。

自分の経験値が教科書になり、その教科書にない発言や行動をする子供がいたら、怒って叱って抑えつけるやり方しかできない指導者はやはり未熟。
自分の経験値なんて微々たるもの。それ以外の知識や発想は、人から・観察や行動から学ぶしかない。
それが子供たちでも年齢関係なく、目線をフラットに向き合わなくてはいけない。

お互いが成長していけるように、また子供たちが大人になった時に、人から愛され頼りにされ、世の中から必要とされる人材になるように、指導者はできる限りの努力をし、尽くすべきだと思う。

何度も言ってしまうが「指導者が偉い」という事は絶対にない。
子供たちが野球で飛躍できるよう見守り・考え・努力し、先々子供たちが社会に出た時のために、大切にコミュニケーション能力を磨き、常識や考え方のアドバイスをし、気持ちに余裕を作り、考えさせたり気持ちのスイッチを自分でコントロールできるよう考え方を伝えたり、子供たちが主体で歩んでいける組織を目指していきたい。

子供たちは指導者の奴隷ではない。
指導者は、子供たちの一番のファンであり、お互いに良き理解者でありたいと思う。

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