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なぜ道場を立ち上げたのか…僕の少年時代の話…

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僕は、プロ野球選手の父と優しい母の元に生まれた。
小さい頃から野球漬けかと思いきや、小学生の間はサッカー漬けの日々だった。
子供会のソフトボールや公園で友達と遊ぶ野球ぐらいはやったが、本格的に打ち込んだ事は小学生の頃は一度もない。
大して興味もなかった。

ずっとずっとサッカーをやっていくつもりだったが、中学生になる時、父から野球の道を強制的に選ばされた。
今もそうだが、生まれて42年、父に逆らった事はない。
当時も「サッカーを続けたい」の一言が言えず、母に泣きついた事がある。
母も父に何度も話をしてくれたが、父は譲らず、私も父と母のケンカをする姿を見たくはなかった。

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野球の道に進む事を決めた日、今までにないぐらい落ち込んでいた事を覚えている。

最初は中学校の野球部で良いかなぁ…と思っていたが、野球部が新入部員を募集しておらず、
何も知らない私は週末父に連れられ硬式ボールのクラブチームの練習に行った。
その練習を見て、すぐにでも逃げ出したくなった。

坊主頭、厳しい上下関係、厳しく激しく叱り飛ばす指導者、失敗した時はビンタや蹴り、
私が経験してきたサッカーの世界とはあまりに違いすぎて続ける自信は全くなかった。
サッカーの格好で練習に参加した初日は、その格好を笑われ、しかも打てない・捕れない・投げれないで、
さらに笑い飛ばされた。
「来る所を間違えてる」「遊びじゃねーぞ」と選手達に言われ、涙を堪えて練習をしていた。
笑われるのも当然、そのクラブチームは当時愛知県でも屈指の名門チーム。
小学1年生ぐらいから野球をやっている中学生の集まりなので、すでに私とのキャリアの差は4〜5年にもなっていた。
入団しないという選択肢はなく、完全強制で入団させられた。

そこから野球から離れたい日々、毎日サッカーボールを触り、土日の野球を考えると
金曜日の夜から頭痛や吐き気が止まらなかった。
同時に父から野球のスパルタ教育も始まった。叱られ続ける日々、走らされ続ける日々、
友達と遊ぶ事もできず、学校が終わると練習練習の毎日。

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当時は、家出をすれば…自分がこの世からいなくなれば野球から解放される…
そんな事を考えながら生きていた覚えがある。そんな気持ちで野球をやっていても成長はしてくるもので、
やらされながらの練習でも、練習量はチームの選手達には負けなかったと思う。
中学2年生の頃は、「もう野球を辞める事はできない」「やるなら入団した時 笑ってきた奴らには負けたくない」
そんな気持ちでやっていた。休む日はなく練習練習を積み重ね、チームでも多少は活躍する事ができた。
中学3年生になり、活躍が認められ、強豪の享栄高校から声をかけてもらう事ができ、野球の特待生で進学する事ができた。

続く

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