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なぜ道場を立ち上げたのか…大学時代…

中学から始めた野球だが、高校が終わるまで野球を好きになった事は一度もなかった。
苦しみや悲しみ以外はなかったが、唯一良い事と言えば、運が良かった事だと思う。
中学でも高校でも、大事な時に結果が出てくれた。大学に入るための野球の実技試験でも、たまたま調子が良かった。
それは今でも実力だとは思わない。野球の神様が、ここまで頑張ったご褒美にくれた運だと思う。

高校野球を終えた時、好きではなかった野球だが、ここまでやってきたら大学でも続けていこうと思っていた。
ただ、絶対に曲げたくない条件が自分にはあった。それは、家を出る事と父の知り合いがいない場所で野球をする事。
父への感謝もあったが、やはり父の元から離れて野球をやってみたい気持ちと、失敗しても叱られない家に帰ってみたかった。
そして、父の知り合いはほぼ100%野球関係者だったので、比較されず、父の凄さを聞かされない、そんな世界で1度やってみたかった。

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その中で選んだのが、関西の強豪・大阪産業大学だった。東海地区から出ると、父の知り合いもほとんどいないし、
僕の知り合いもほとんどいない、なんとなく1からスタートできる感じが嬉しかった。

中学〜高校までスパルタや支配の中で野球をやってきた僕にとっては、大学野球は夢のような世界だった。
髪を伸ばしても良い、厳しい上下関係もない、車でグランドに行っても良い、球場には流行りの音楽がかかっていて、
練習も自主性に任せているメニューが多く、好きな練習ができた。
今までの野球とは180度違ったので、最初はそれが嬉しくて楽しくて新鮮だった。
練習後、夜はアルバイトをしてお小遣いも稼げた。

しかし、今まで全て指示の中でやってきた野球なので、だんだん自分がどんな練習をすべきかが考えられなくなり、
今やっている練習が正しいかも分からず、技術的な部分も進歩できているか不安だった。

父の元を離れたかったが、父の指導がない中でやる野球は心細かった。

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考えながら野球をやってこなかった分、何をしていいか分からない自分がいた。
同級生や先輩を見ながら成長はしていたが、支配野球から解放された反動で度々野球に身が入らない時期もあった。

レベルの高い選手達の中でやる野球は楽しかったが、大学2年・3年になるにつれて、プロ野球や社会人野球など、
大学から上の世界でやる野球のイメージができなくなってきた。
関西地区の大学野球には巨人やメジャーリーグで活躍した上原投手や、同じく巨人で活躍した二岡選手がいた。
彼らのプレーを見ていると、彼らのような選手が上の世界でやれる選手であり、全く次元が違った。

相変わらずケガだらけだった僕は大学3年の時、左肩を脱臼骨折し手術をした。入院し、リハビリ生活を送る中で、
この先の人生を考えていた。
自分の実力にも限界を感じ、ケガにも嫌気がさし、野球を大学までで終えて違うステージで頑張ろうと思うようになった。
「自分は野球だけの人生は嫌」「野球で学んだ事を他で生かしたい」そんな事を大学4年の時よく口にしていた。
間違いではないが、心の中では野球から逃げた、父を超える事はできないと認めていた。

大学4年で野球部を引退し、愛知に戻り就職活動をした。第一次不景気と当時言われ、就職活動は苦戦すると思っていたが、
中学〜大学まで野球を続け、高校では強豪校の主将を務めたという経歴が面接官の目に止まり、苦戦する事なく大手企業に就職は決まったが、

これが自分の人生を見失う入り口だった。

続く

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