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なぜ道場を立ち上げたのか…最終章…

会社を退職し、野球を通じて子供達と向き合う事を決めた僕は悩んでいる事があった。
それは、クラブチームを作るのか、自分のやりたい形や信念を貫き新しい形を作るのか…という悩みだ。
言葉に表す以上に深い悩みだった。
野球という伝統あるスポーツであり、新しいものが弾かれる世界でもあるだけに、
認知度の高いクラブチームとは違う新しい形を作って、野球界から弾かれる事を僕が怖がったのだ。
でも、どれだけ考えても、やりたい形はチームではなかった。
自分もクラブチーム出身、勝利に向かって頑張る事が必要ないとは全く思っていない。
高校野球の世界からは、甲子園という存在がある以上、勝利至上主義になってしまう。
だからこそ、まだ小・中学の時は結果より育成が大事だと思う。
さらに、野球界に感じる考え方や古い常識には流されてはいけないと感じていた。

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野球の現場は、野球だけをやる場ではないと考えている。現場は、社会に出てから必要な考え方や人間性も伝えていける。
それをどんな形で伝えていくかが問題だった。
自分の野球経験、野球から離れ社会に出てからの社会経験、自分の経験してきた事以外で深く学んだ指導者としての勉強、
それら全てを指導に生かすためにはどうしたらいいか、悩んだ僕は指導でのこだわりを書き表してみた。

すると、ここでは書ききれないが、こだわりは50項目以上にもなった。その項目を一つの形として実行していくためには新しいものを作るしかなかった。
批判は覚悟の上だ。
そこで自分の信念は曲げず、子供達と向き合い育成する事を大切にするために、新しく独立した団体として「道場」というものを立ち上げた。
最初は選手一人、指導者の僕一人の二人でスタートした名東野球道場。
大きくしたいわけでもなく、有名になりたいわけでもなく、ただただ純粋に子供と野球を通じて向き合ってみたかった。
フリーペーパーや雑誌、チラシ配りなど、いまだかつて宣伝は一度もした事ないが、噂や情報は流れるのが早く、
立ち上げて1.2年は、批判や嫌味を言われ、気持ちが落ち込んだ事もある。それも学生野球界の良くない体質だと思う。

それでも、道場を信じ、僕を信じ、毎日目を輝かせて練習に来る子供達を見ていると「負けてはいけない。しっかりしなくてはいけない」と
自分に言い聞かせていた。バカにされても何を言われても我慢。悔しさは指導の力に変える、そう思い、一人一人と向き合ってきた。

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そこから約10年、道場は今もコツコツ成長を続けている。純粋でかわいい子供達も質の良い競争の中、毎日毎日良い顔をして頑張っている。
そんな彼らに、僕ができる事は何か、全ては僕の努力しだい…今も立ち上げた時と変わらず、その信念は1ミリも曲げていない。

野球少年の人口減少、行き過ぎた指導、親の負担、金銭問題、進学問題、厳しい野球界から離れた選手が起こす事件、野球界にはたくさんの問題がある。
ほとんどの問題は、小・中・高校など、学生野球界の考え方や育て方、向き合い方に問題があると私は思う。

私自身も、叱られながらスパルタ・理不尽な世界と言われる中で野球をやってきた。
怒られないように、追い込まれながら毎日苦しんでいた。支配の野球から解放された反動も大きかった。
野球界がやらなくてはいけない事、考え直さなくてはいけない事は多いと感じる。

指導者は偉いわけではない、言う事の全てが正しいとは限らない、勝った時は自分の名誉、負けた時は子供達のせい、
自分の思い通りにならなければ怒る、そんな指導者がまだまだたくさんいる学生野球界。
私も、野球から離れて社会に出て、野球の異常な世界を痛感した。
ルールやしきたり、時間と心の拘束。
野球は気持ちを犠牲にする事があまりにも多すぎる。
上手い選手は偉いという風潮があり、結果を出せず苦しんでいる選手に手を差し伸べる気持ちが薄い。そんな考え方の中で、人の心は育たない。
野球という現場で、今を生きる子供達に上手い下手は関係なく、向き合い育てていかなくてはいけないと思う。

ピリピリした空気の中、言う事を聞かせ、精神修行という言葉を美談とする。そんな世界では、今の自分でも野球をやりたいと思わない。

グランドで楽しくやる事は、緩みやおふざけ、舐めてる・甘くみてる…そんな捉え方をしてしまう指導者や大人は多い。

厳しさという方法ではなく、温かく楽しみながら成長を実感し、向き合い寄り添いながらやっていく野球がなぜいつまでも定着しないのか。
そこには、考え方だけでなく、権力や圧力、変える事が難しい歪んだ常識があるのかもしれない。

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メンタルや気持ちが弱い子には厳しく、その考え方も間違っている。メンタルや気持ちの強い子は、それも生まれ持っての才能。
逆に弱い子は、寄り添い立ち向かう勇気を持たせてあげるべきだと思う。

ここまで長く綴ってきたが、人を褒める事ができなくて、見下す事や言い訳ばかりで身を守ろうとした自分。
怒られないためには必死にやるフリをしたり、嘘までついた自分。調子良く大人をかわしていく事が正しいと思い込んでいた自分。
その間違いに気づくのが遅かった。

自分があまりに未熟過ぎて、挫折から立ち直るまで時間がかかってしまった事には後悔しかないが、今、道場という形に辿りつけて本当に良かったと思う。

自分と向き合う事ができないと、考え方や心の視点も変わらない。失敗や誤った考え方をしてきた自分も、
今後、子供達の育成に生かす事を自分の中の約束事として、自分で自分自身を許す事にした。

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自分を許し、未熟な自分を受け入れる心を持つと、人を許し、優しくできる自分も生まれた。過去のスパルタ教育で、溝ができてしまった父との関係も、今は感謝に変わっている。
そして、その父も、優しいおじいちゃんとして道場の子供達に愛情指導を行っている。今は、あの頃の父の気持ちもわかってあげたい自分がいる。

「なぜ道場を立ち上げたのか…」それは自分の人生経験と、そこからたどり着いたこだわりと信念を形にしたかったから。それがチームでは形にできないからである。

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最後に、私は野球が大嫌いだった。厳しさと苦しさと我慢と挫折、野球から思い出される事はそんな事しかない。
しかし、今 野球が最高に楽しい。その楽しさを教えてくれたのは、間違いなく道場の子供達だ。そんな彼らには感謝しかない。

子供達とやる野球は大好きだ。

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