父が亡くなって半年が経つ。
多くは語らないが、少しだけ父の事に触れたい。
ここまでコロナの影響以外は無事に野球ができている。子供たちもコツコツ成長してきている。
父が生きている頃はあまり思わなかったが、今は、子供たちの成長した姿を少し見て欲しい気持ちがある。
家にもグランドにも父の姿がない生活に、いつの間にか慣れてしまった。
正直な気持ちを言えば、亡くなって初めて父の事を好きだった自分を知ったが、同時に、亡くなって気持ちが楽になったのも事実。
私がプレーヤーを引退してからは、父が私に厳しく言ってくる事はなかったが、小さい頃の「超スパルタ野球教育」が脳裏に焼きついて、どこかで恐怖や支配を感じていた。
なるべく会話をしないように、なるべく同じ部屋にいないように、避けるような生活をしていた。
亡くなった時、もうそんな生活をする事もなく、そんな感情で父と向き合う必要もなくなった事で気持ちが楽になった。
今は遺影で笑う父に、笑ってオッス!と言える自分がいる。
父は、プロ野球選手にまでなって、引退してからも野球界に身を置いて、野球で始まり野球で終わった最高の野球人生だったが、唯一の残念は、息子である私がプロ野球選手になれなかった事だろう。
それを夢見て私に厳しく指導してきたと思う。
当時の私には厳しすぎて生きていくのも辛い日々だったが、父も本当は叱りたくなかっただろう、厳しく言うのは辛かっただろう。
私が不器用すぎて技術の覚えが悪く、亡くなった今は申し訳なかった気持ちもある。
子供の頃、野球が嫌いだった私も、今は指導者になり、大好きな子供たちの野球人生の力になりたくて毎日必死になっている。
指導方法や考え方は父とは違う。
でも、そこは違ってていい。
自分の流儀、こだわり、信念は曲げずに今までやってきた。父も分かってくれていた。
これから、私はまたチャレンジの年を迎える。
亡くなるまで一度も褒めてもらった事はないが、空から見ている父から褒めてもらえるように、子供たちとしっかり向き合って、大事に育てていこうと思う。
亡くなって半年経った今、父に思う事は…
やっぱり…
プロ野球選手になれなくてごめんね。
私のために一生懸命になってくれてありがとう。
大嫌いだったけど「大好き」かな…