昔からよく言われてきた言葉。
根性を鍛えろ!
気合い入れろ!
根性論や精神論というのは昔から言われてきた。
苦しい時に乗り越えるのは、気合いと根性…そう植え付けられてきた記憶はある。
今、指導者となって子供たちと向き合う中で、そうした昔ながらの根性論や精神論が必要か必要じゃないかと言われたら、私は必要じゃないと思う。
気合いや根性みたいな気持ちは人が植え付けるものではない。
子供たち自身が心から強い気持ちが湧き出し、自分自身で苦難を乗り越えようとする事で養われていくものと感じる。
怒ったり叱ったり、ただただキツイ練習メニューを課したり、そんな事で、気合いや根性を鍛えているなんて考えたら大間違い。
どんどん手を抜く事や大人が見ている時だけちゃんとやろうとする悪知恵や、表裏のある性格が養われるだけで、大人になっていくための人格形成にはプラスに働かないものだと思う。
それよりも、楽しむ空気感や大人から寄り添うコミュニケーション、考える余裕や温かい空間がグランドにあれば、子供たち自身が強い気持ちで行動し始め、自身の成長を求めて良い意味で追い込み始める。
その仕掛けやサポートが指導者の仕事であり、グランドで子供たちが大人の目を気にせず野球に打ち込めるよう努力する事が指導者の役割だと思う。
根性や気合い、精神論は古いというより、昔からいらない考え方だと思う。
心に余裕があり、野球を楽しめていれば、発想や感性も磨かれ、自分で物事を考えていける力が育ってくる。
そこに心の強さや我慢や辛抱する気持ちも生み出してくる。
だからこそ、なるべく楽しくやれる空間を作っていく事が大切。
でも、緩みや乱れが生まれる楽しさではなく、技術や意識を高め合える関係性を築けるように、裏方として私は子供たちをサポートしていきたい。
根性論や精神論、まずそこから大人が脱していく事が必要だと思う。