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それがあったから今がある…

昔から思っている事があるが、今まであまり口に出す事はなかった。
それは、子供時代の野球において、あの苦しみを経験したから今がある…という言葉に違和感を感じるという事。

プレーにおいて、バッティングでなかなか打てない、守備力が上がらない…そこから技術を上げていくために、コツコツ一生懸命練習を積み重ねていく中で、苦しい練習や体力的に辛い時はあると思うが、それは必要な事だと私は思う。
ただ野球は、そうでない苦しみを味わう事も当たり前や必要とされる風潮がある。
指導者の支配的な厳しさ、選手や父兄を拘束する感覚、ルールやしきたりに我慢や辛抱を求める考え方、それも子供には必要な事だと言う人はとても多い。
その厳しさを乗り越えて…その我慢も成長には必要…と今も言う人は多いが、私も小さい頃からずっと言われていた。
私はその考えが正しいと思った事はない。

精神的な苦しみを乗り越えても、気合いや根性を学ぶ感覚はない。
そして、その我慢や辛抱も苦難を乗り越えるためには必要かもしれないが、良い事だとは思わない。
だからと言って子供たちを放置したり全てを許すと言う事ではなく、大事な事は、伝える事、向き合う事、導いてあげる事だと思う。
そして、コミュニケーションを大切にしながら、子供自身が考えていけるような心の余裕や柔軟性を作ってあげたい。

精神的に追い詰められながら野球をやったり、楽しむ事より義務的にやってる子供もいる。
野球の世界に踏み込む時には、楽しみよりも不安や恐怖感が勝り、「自分」というものを押し殺してやっていかなくてはいけない世界がある。
自主性やエンジョイと言われるが、古い体質はなかなか変われない

いまだにその精神修行のような苦しい日々に対し、あれがあったから今があると口にし、それを今の時代の子供たちに強要したり押し付けたり、そこを通ってきた自分が偉いというスタンスで子供たちを上から見下ろす大人がいる。

技術向上のための練習やトレーニングの苦しさは時に絶対必要。
ただ、ルールやしきたり、伝統や大人のエゴから来る苦しみや我慢は必要ない。

野球を楽しむ、野球を考える、成長のために努力を積み重ねる、コミュニケーション能力も磨く、その考え方や意識のレベルを上げていけるのが年代別の野球界であるべきだと思う。
楽しめない、考える余裕がない、自主性より支配、コミュニケーション能力の大切さを認めない、そんな世界が子供の野球界になっている。

私も通ってきたが、その精神的な苦しさを超えたから今があるとは全く思わない。
我慢や辛抱が前向きな成長に繋がるというのも感じない。

今の時代の子供たちを知り、歪んだ伝統や風潮を見直し、過去におかしいと感じた事を次世代の子供たちに改善せずぶつけないように、矛盾と理不尽の野球界で生きてきた大人が考えていくべき時が来たと私は思っている。

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