大学を卒業して入った大手企業も逃げるように辞め、もうその時の自分は野球をしていた頃の自信と輝きはなかった。
就職難は続いていたため、転職は簡単にはいかず、職人見習いとして飲食店に勤めた。
皿洗いから始め、掃除・仕込み・接客、毎日その流れの繰り返しだったが、心のどこかで「何でこんな事をやらなくちゃいけないんだ」「本当はもっとやれる」挫折をしたにもかかわらず、その現実を受け入れられないプライドと未熟さだけが心に残っていた。
勤めていた飲食店も、関東〜関西に展開している大きな企業だったが、僕が勤めていた店舗は売上も良くなく、従業員の出入りも激しかった。
僕と一緒に働いていたアルバイトの学生からも「キツイだけだから早く辞めた方がいい」と言われ、僕もどこかで辞める事を考えていた。
ただ、自分の心の中に、苦しくなったらまた逃げていいのか…という気持ちも強くあった。
下積みを重ね数年後、社員に昇格し、職人として働いていた時、社内トラブルがあり社員が大量に辞めた。
僕が勤めていた店の店長も従業員も辞めていき、残ったのは僕とアルバイト一人だった。
これでどうやって営業するのか…と思っていたが、その時は無我夢中でやるしかなかった。
中学時代、強制的にやらされた野球の感覚と似ていた。もう逃げてはいけない、ここで立ち直らなくてはチャンスはないと思い、早朝から夜中まで、休憩なし・休日なしで必死にお店を守った。
しかし、店長経験もなく、人を育てた事もない自分が突然全てを任されても うまくいかず、毎日毎日悩んでいた。
自分で面接をして採用したアルバイトもどんどん辞めてしまう。売上もなかなか上がらない。
自分の力のなさを痛感した。
結果を出したい気持ちや焦りがあり、ついつい自分の思いや やり方を従業員にぶつけてしまう。雰囲気の悪い店ではお客様も従業員もついてくるわけがない事に、何度も何度も失敗してようやく気づき始めた。
従業員が気持ち良く働ければ、良い商品が生み出され 良い接客が生まれる。従業員一人一人にお客様がファンとなってくれれば、顧客になり常連客になる。働く楽しさ、売上を上げていく楽しさ、お客様が増えていく楽しさを知っていくと、一人一人の意識が変わる。
僕は結果を出す事に必死だったが、従業員の気持ちを考えれば、それは野球をやっていた頃の僕と同じだったかもしれない。
どれだけやっても褒められない。指導者の思い通りのプレーをしなければ叱られる。支配されながらやる野球が大嫌いだった。
でも、その時のお店を支配していたのは自分だった。自分がやられて嫌だった事を野球と違う場所で自分がやっていた。
自分の気持ちを優先するより、人の気持ちを先に考える事が大切。
職人を育てるためには失敗した商品を責めるのではなく、良かったところを褒め、一緒に練習してあげる事が大事だった。朝練を始め、良い商品を生み出す事を一緒に楽しんだ。
接客をしている従業員にも、指導より まず「感謝」を伝えた。
チームというのは自分が作るというより、みんなで育てていくもの。
自分の気持ちを分かって欲しければ、まず相手の気持ちを分かってあげる事が先。そう感じるようになっていった。
従業員がヤル気になってくれれば、良い商品・良い接客が生まれ、売上も上がってくる。
さらにそこで、全員で経営意識を共有し、時間の使い方、経費の考え方を相談し、赤字から黒字にするための道のりを歩み始めた。そこから1年ぐらいし、お店は黒字になった。
会社からも評価され、次々新店舗立ち上げや赤字店舗の立て直しを任された。気づいてみれば関東から関西までたくさんの店舗を管理する統括マネージャーになっていた。
ただ、自分の事より嬉しかったのは、必死に向き合って育ててきた従業員達が、各店舗で店長や店長を支える右腕となって活躍していた事だ。
それでも、僕も満足はせず、自分と考え方や波長が合わない人、履歴書に書ききれないほどの転職を繰り返している人を積極的に採用し、時間をかけて向き合うようにしてきた。
自分と、考え方や波長が合う人と一緒に仕事がしたいのは当たり前だが、自分も成長しなくてはいけない、人に寄り添う気持ちを養わなくてはいけない、そのためには、考え方や波長が合わない人と一緒に過ごす事が大事だと思った。転職を繰り返している人には、自分の向き合い方と努力で辞め癖を食い止めようと思った。
焦らずゆっくり温かく、そして、人を許し、人を助け、人の力になろうと努力する事に自分の信念と生き方を見出す事ができたと思う。
そしていつの日か、今の自分の考え方や やりたい事は、ずっと抱いてきた野球界への不信感に向き合う事だと思うようになった。
従業員に一生懸命向き合って、目標に向かって一緒に努力する事は、野球を愛する子供達にも必要だと思う。少年時代の苦しみやわずかな成功、社会に出てからの挫折、その経験から生まれた考え方や信念、今こそ野球界に戻り、子供達と向き合うべきじゃないかと思った。
自分の努力しだいで、人の心が動くぐらい子供達に尽くしてみたいと思い、僕は会社に退職願を出した。
続く