私は野球を楽しめなかった。
昔だから仕方ないが、毎日のように叱られ、時には手が飛び、厳しい上下関係の中、野球を続けてきた。
自分が選手としてやる野球を終え、一度野球から離れ、指導者の勉強をし、指導者としてスタートをした時、私は楽しい野球を追求したいと思っていた。
指導者となり10年以上が経過し、小学生、中学生、高校生、大学生、色々な年代の選手たちを指導し、少しずつ私なりの楽しい野球が見えてきた。
グランドに笑顔が溢れ、厳しさよりもみんなで楽しもうと言う空気を作った方が良いのではないか…それこそが野球を楽しむという事だと思う時もあったが、私の結論はそうではなかった。
楽しい野球の中でも、私の中には、楽しい違いのもう一つの楽しい野球がある。
選手は楽しくやれた方がいい、笑顔が溢れていた方がグランドが明るくなる。しかし、そこには落とし穴があると思う。
緊張感がなくなり、失敗やミスを気にしなくなり、こちらの指導やアドバイスを聞いても形にしようとはしない。
成長したいという欲より、楽しくやりたい欲が勝り、向上心や競争心を失ってしまう。
ワガママになり、自分の未熟さを受け入れられず人のせいにする、面白くなければ親に訴え、姿勢を注意すればヤル気がなくなったと言う…
それでも、子供たちが楽しめたら良いというのが楽しい野球なのか…
私の求める楽しい野球は違う。
レベルは高くてもそうでなくてもいい。
そこは重要ではない。
コツコツ練習を積み上げ、できなかった事が少しずつできるようになっていく事に楽しさがある。
メリハリのある姿勢も大切。
キツく苦しいメニューもたくさんあるが、そこをどう乗り切るか。
求めていくレベルは高いと思う。
そして、いちいち1〜10まで指示するつもりはない。
自分で考え、自分自身と向き合い、自分で打開していく力も養い身に付けていく必要がある。
高校からは、そんな姿勢や考えを持った選手がこれからどんどん必要とされる。
私は余程の事がない限り、怒ったり叱ったりはない。
でも、そこに甘えや緩みを許すつもりはない。
罵声や暴言、体罰はなくても厳しい空気感は作れる。
向上心や競争心も、やり方や私の努力で育てていく事はできる。
私の思う楽しい野球は、全てを許す野球ではない。そこは楽しい違いだ。
どうしたら苦手な事を克服できるかを考え、自分自身と向き合い、厳しさを我慢し、苦しさも辛抱し、コツコツ練習を積み重ね、少しずつ技術的にも内面的にも成長し実感していく事に楽しさがあると考えている。
でも、怒る叱るは避けていたい。
なかなか難しい指導にはなるが、そこにコミュニケーションや人心掌握術が必要になると思っている。