野球界は昔から変わらない風潮や歪んだ常識がある。
それは指導者やチーム上層部による子供や親に対する支配。
時間や心を拘束し、強制的に言う事を聞かせる体質は野球界には色濃く残っている。
私もそんな中で野球をやってきた。
指導者の前ではイエスマンでいる事は当たり前。
怒られたくないから頑張る、怒られたから頑張る、指導者の顔色や視線を一番気にしながら頑張る…自分が頑張ってきた事に何か違和感を感じる。
自分の野球人生のはずなのに、指導者の満足のために頑張る自分でしかなかった。
グランドの中は全てが強制、個性やキャラクターは全て消し、性格も変わってしまうぐらい別人格を作って、良い子でいようと心がけていた。
当然だが、考えてやる野球などあり得ない、個性を活かすような余裕は一切ない、楽しむ野球などやった事がない。
今振り返ると、その野球の世界からはプラスに働く要素は私の中では見つからない。
恐怖感のある支配や、自分を出せない強制的な野球では、先々必要とされるスキルは何も生まれてこないと私は感じている。
逆に、指示を待たないと何もできない。
考えて動く事が苦手になったり、人格形成や将来の人間像にはマイナスな部分が多い。
厳しい中で踏ん張ってきた事や縦社会の厳しさが評価される部分も一部はあるが、私はそれが一番大切だとは思わない。
理不尽に叱られたり、追い込まれながら野球をやっていると、自分が楽になるために嘘をついたり裏表が激しい性格が出来上がってくる。
発言や意見も中々できない環境なだけに、肩や肘など体の痛みを我慢するケースも多く、結果的に悪化してしまう。
小学生や中学生はまだジュニア世代。
体を使い込んでいくより守る事が最優先。
試合に出ている子はずっと出続けるが、小さい頃から気づかぬうちに体を酷使しているケースが多く、試合に出ていない子はいつまでも技術的な進歩ができない。
どちらもプラスにはあまりなっていない。
野球とはそう言うもの
支配や強制も大事
子供を甘やかす方が良くない
野球界はいつまでも変われないと言われているのは、このような考えの大人が多いから。
絶対数の多い方が正しいと思い込んでしまうから、今の状況に不安や違和感を持っていても、声を上げたり動く事ができない人は山のようにいる。
なぜ言えないか…そこに支配や拘束、洗脳や強制があるからだと私は思う。
指導者や上層部に従う事により、試合に出れたり何か優遇されるケースがあったり、中学生はそこに進学問題も絡んでくる。
だから支配や強制は野球界を変える事ができない。新しいものを生み出す事もできない。
十人十色、個性や特長も人それぞれ違うからこそ、個を伸ばすためには、強制統一の練習や試合ばかりでは伸びない。
支配や拘束は、親子を結果的に追い詰めてしまう。
時間と心に余裕がなくては、良い発想・独創性・臨機応変の対応力も養われない。
今の時代は…とよく言われるが、私が子供の頃だって、当たり前だった支配や強制の野球は正しくはなかったと感じる。
その時代に野球をやってきた人間たちも、その経験を反面教師にできる人間は少なく、誇りや美談と捉えるため、時代はくり返してしまうのだと思う。