ここ最近、野球やサッカーなど、スポーツの暴力など体罰問題がニュースになっている。
私が子供の頃は体罰は当たり前の世界だった。
そこに耐え抜いてこそ良い選手になると教えられてきた。
そう言われてきた世代が大人になり、子供の親や指導者になり、またその根性論や精神論を持ち込んでくる。
だから、時代は繰り返され、このような暴力の事件も消えない。
それも大事と言う人は今でもいるが、私は大事だと思わない。逆にマイナスばかりに感じる。
厳しくしないと甘える・緩む・舐めるとよく言われるが、指導の引き出しを知らないだけ、コミュニケーションや人の気持ちを勉強してないだけに思う。
我慢や辛抱を子供に押し付けるが、我慢や辛抱ができないのは大人の方にある。
最終的には、自分が満足できるか、自分の思うように子供たちが動くかどうか…で機嫌や態度が決まる指導者や大人が多い。
それは自己中心的で自己満足を求めているだけになってしまう。
そんな大人の目を気にしながら、子供たちは野球をやってはいけない。大人の満足感を満たすために子供が頑張るのも違う。
怒られないように叱られないように一生懸命やる野球は違う。
大人が変わらなくてはいけないと私は思っている。
何でも許されてしまう楽しさではいけない。
ミスをしたらどう向き合うか、小・中学生という難しい年頃の人格形成のためにどこまで尽くせるか、一人一人の人生に寄り添い大切にできるか、そこには根性論や精神論をあまり入れていく必要はないと思う。
そう話すと、甘やかしや無法地帯みたいな極端な考えで批判する人もいるがそうではない。
人の指示や人に動かされないと何もできない人間になってはいけない。
自分自身と向き合う事ができず、自分の未熟さを受け入れられず、うまくいかないと人のせいや人を悪く言う人間が野球界には多い。
子供の頃から自分で考える習慣や自分で打開する力を養っていない分、体が成長しても内面的な成長ができない人間が多くいる野球界を指導者が認め、変わらなくてはいけない時が来ている。
体罰は、本当は昔からあり得ない事なんだと私は思う。美談にする事もおかしい。
その方法でなくても、厳しさや常識などの伝え方はあり、人間教育はできる。
子供たちが野球を楽しみ、自分から成長するために追い込める環境やサポートが大事だと感じる。
体罰だけでなく、野球における子供たちの酷使や放置の問題、チームにある親へのルールやしきたり、進路問題の縛り、子供や親への洗脳とも思える支配、まだまだたくさんの問題がある。
その良くない習慣が、先々どのような影響があるかも考えなくてはいけない。
今、大人が考え、変わる勇気を持つべき時が来ていると思っている。